対談
 

オーナー・役員・社員による三権分立の組織を構築

 

【中須】 千代田ホールディングスは、千代田興産、千代田計装、千代田情報システム、大和冷機をグループ会社に収める持ち株会社です。その始まりは1955 年に創業された千代田電機(現千代田興産)にさかのぼります。まずは、これまでの経緯をお聞かせください。

【谷川】 父・雅雄が炭鉱に電線を販売する代理店として創業しました。1956 年に日本電線(現三菱電線工業)の代理店となったこと、1960チームコンサルティング対談Vol.46チームコンサルティング対談年にビルの空調設備を扱う山武ハネウェル(現アズビル)と特約店契約を交わしたことで事業が拡大。エネルギーが石炭から石油へと移行する流れに合わせ、電線やモーター、電灯、空調設備へと商材を広げながら順調に成長していきました。 その後、業務拡大を受け、1971年に計装部を独立させて千代田計装を設立。さらに2001 年に千代田興産のコンピュータシステム部を、千代田情報システムとして分離しました。

【中須】 各社が専門性を高める形で分離独立を進めてこられました。それを再統合されたのはなぜでしょう?

【谷川】 以前から、「会社は誰のものか」について考えてきました。会社は「社会の公器」といわれる通り、オーナーが会社を私物化すべきではないと思います。私は社員を守るために会社を経営していましたが、本来は力のある人材が社長になるべきだと考えています。 ただ、社員が社長になる場合、経営者の個人保証は大変な問題ですから、千代田興産、千代田計装、千代田情報システムの3 社を再統合するホールディングス化を決断しました。さらには2016 年にM&A(合併・買収)を通して大和冷機がグループ会社に加わり、現在の形が出来上がりました。

【中須】 組織変更に伴って谷川取締役(前代表取締役社長)は所有していた株式をホールディングスに拠出し、役員持ち株会や社員持ち株会に充当されました。その理由をお聞かせください。

【谷川】 目的は、オーナー家の独断専行の抑止です。以前は、私と弟の幸雄を中心に谷川家が全株式の51%を保有していました。その比率を42%まで下げる一方、役員持ち株会を29%、社員持ち株会を29%まで引き上げました。 オーナー家と役員、社員の株式保有比率を近づけることで資本の三権分立を実現したのは、3 者による合議制で経営する組織を目指したためです。

【中須】 資本構造だけでなく、組織面でも合議制による経営を明確にされています。

【谷川】 経営戦略の最高意思決定機関は千代田ホールディングスの取締役会に持たせています。取締役会のメンバーは同社の代表取締役社長と取締役によって構成されていますが、グループ各社の社長が取締役を兼任する形としました。社長の選出や経営方針の決定といった重要事項は、全て役員会で決めています。

【中須】 平成の終わりとともに谷川取締役は千代田ホールディングスのCEO(最高経営責任者)を退かれ、元号が「令和」に変わった5月1日から田中新体制がスタートしました。田中政利社長は銀行ご出身とお聞きしました。どのようなご縁で抜擢されたのでしょうか?

【谷川】 谷川家以外の人材から社長を選ぼうと考えていたので、以前よりお付き合いのあった銀行から来ていただきました。任せたからには、私が前に出ることはありません。丸投げしているので大変でしょうが、中立の立場で会社全体をしっかりとまとめてくれると期待しています。

【中須】 田中社長は以前から千代田興産とお付き合いがあったのでしょうか?

【田中】 支店に勤務していた頃に何度も訪問していました。千代田興産は地域の優良企業ですから、以前から銀行内でよく名前を耳にしていました。ただ、2018 年に入社してみると、業務が非常に多岐にわたっていることや、想像以上に財務がしっかりとしているので驚きました。

【中須】 良い意味で想像を上回る組織だったわけですね。

【田中】 一言で言えば、面白い会社。グループ会社の顧客はそれぞれまったく異なりますし、千代田興産だけを見ても地域や部署によって事業内容が違います。例えば、東京は顧客企業に社員が駐在することもありますし、広島では調剤薬局を含めて手広く事業展開するなど非常に多様。何でもできる面白さがあり、やる気のある人にとっては、やりたいことに挑戦できる良さがあると感じました。一方、千代田計装はどの拠点も業務内容は同じですが、高い技術を有する優秀な社員が多いので、今後も成長が見込まれます。

【中須】 同じグループ企業であってもそれぞれに個性があります。そうした違いをシナジーに変えて70 年、80 年、100 年と会社を持続的に発展させていくには、共通の目的が必要になります。今は、田中社長を中心に中期ビジョンの策定を進めておられますね。

【田中】 新体制に移行するに当たって、まずは内部向けに「不易流行で100年企業を目指す」というスローガンを策定しました。もともと100年企業を目指す意識を強く持っていますし、ホールディングス化の後はグループが一体となるような研修を行ってきました。すでに人材は育っているので、その力を生かしながら年内にグループビジョンをつくり上げたいと考えています。具体的には、10 年後のビジョンを考える次世代経営塾をスタートしており、ビジョンの策定と同時に経営者人材の育成にもつなげていきたいと考えています。